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2010年2月18日木曜日

外国語学習のすすめ3

言語:世界の切り取り方のクセに関する壮大な体系

クセならば,それを習得するには「慣れる」のが一番手っ取り早い.
難しいと言われる日本語だって,幼稚園児でも文法的に正しい日本語を使える.
世界を日本語で認識するのに「慣れて」いるからに他ならない.

数年前のNHKラジオ・ハングル講座で,少し不規則な読み方をする文字について,講師の小倉紀蔵先生がよく「読みクセです」と説明していた.
それなりの本を読めば,いろいろと「不規則発音の規則」が書かれてある.
それを一言「読みクセ」で済ましてしまうのはどうか,とも思ったが,考えてみればそんなものは「クセ」以上でも以下でもない.
「そうか,韓国人はこう発音するのがしっくりくるのか」と捉えればよいだけの話.
そしてそれは発音に限らず,韓国語に限らず,言語というもの全てに通じる考え方.

「言語習得は慣れ」だと言うと,外国語をゼロから習得するには「慣れる」ためにひたすら聞き続ければ,読み続ければいい的な意見が出てくるが,それは少し違うと考えている.
できるにはできるだろうが,物心ついた人がやるには,はなはだ非効率的である.
全くのゼロから対象言語「だけ」を聞き続けても,得られるものは極めて乏しい.
洋楽ばかり聞き流していても英語ができるようにはならないものだ.

ある程度母国語といえるものを身に付けた人であれば,少なくとも初期の段階では「母国語→外国語」の過程を踏むのが望ましい.
「外国語→母国語」ではない.
「日本語で『花』というモノを英語では"flower"と呼ぶのか!」である.
母国語の単語一つ一つは既に私たちの心の中に「確かなイメージ」を伴って格納されてある.
「母国語→外国語」は「モノそのもの→外国語」に等しい.
天井のランプを交換するとき,脚立がぐらぐらではランプに手が届かない.
しっかりした脚立に乗って初めて,安心してランプに手を伸ばせるのだ.

「外国語→母国語」は次の段階.

【関連エントリ】
半分話: 外国語学習のすすめ1
半分話: 外国語学習のすすめ2
半分話: 外国語学習のすすめ4